オレンジ:オーランドの原点
ロケットより前に。お城より前に。そこには柑橘園がありました。
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春のセントラルフロリダを想像してください。濃い緑の木々がどこまでも並び、オレンジの花の香りが遠くまで漂う風景。オレンジは、この街を地図に刻んだ果実の色であり、私たちの原点の色です。
海を渡ってきた種。
16世紀、スペインからの入植者が最初のオレンジをフロリダへ持ち込み、セントオーガスティン近郊に植えました。その後300年をかけて木々は南へ、内陸へと広がり、柑橘産業はこの土地を支える存在に。フロリダが州になった1845年、「モスキート郡」は、より甘い名前のオレンジ郡へと変わりました。
フロリダの黄金時代。
1875年から1895年にかけて、オーランドはフロリダの柑橘取引の中心地でした。鉄道は果実の箱を北へ運び、柑橘園が生んだ富は小さな町を都市へと育てました。
しかし、1894~95年の冬に大寒波が襲います。わずか数夜で柑橘園は黒く枯れ、多くの人が去りました。それでも残った人々は、一本ずつ植え直したのです。
その一人がフィリップ・フィリップス博士です。テネシー州出身の医師だった彼は、最初の柑橘園を寒波で失いましたが、1897年に戻り、アメリカ有数の柑橘事業を築きました。1929年には、彼の会社が缶入りジュースの金属臭を取り除く瞬間殺菌法を先駆けて開発。フロリダの味を全米の朝食卓へ届けました。1954年には3,000エーカー(約1,200ヘクタール)以上の柑橘園をMinute Maidへ売却。フロリダ史上でも最大級の取引となりました。1950年代には、クレアモントのシトラスタワーから8郡に広がる約1,700万本の柑橘の木を見渡せたといいます。
柑橘園は減っても、色は残りました。
現在のフロリダのオレンジ生産量は、最盛期の約5%です。それでも柑橘の物語は、オーランドの街に息づいています。Orange Avenue、Orange Blossom Trail、Dr. Phillips地区、そしてWinter GardenやWinter Parkのような柑橘園ゆかりの町。1947年にTangerine Bowlとして始まり、1983年に改名され、現在もCamping World Stadiumで年末年始の伝統として続くCitrus Bowlにも、その名が残ります。2019~20年には、Orlando Magicが象徴的なピンストライプをオレンジのユニフォームに替え、胸元には「ORL」を掲げました。メッセージは「オレンジの柑橘園からオレンジ郡へ。これがORL」。翌シーズンには、オーランドを象徴する太陽と柑橘を表すオレンジのピンストライプが登場しました。
私たちのオレンジ。
SPOT X Hotel Orlandoのオレンジは、スペインから来た人々、寒波のたびに植え直した生産者、ジュースを進化させた先駆者、そして柑橘園が姿を消した後も色を受け継いだ街への敬意です。オーランドは「世界のテーマパークの都」。私たちのオレンジは、その始まりを思い出させてくれます。























